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Jan
27th
Fri
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9 花咲か名無しさん :2009/05/29(金) 17:34:13 ID:L8HoFL63
目一杯停めてある放置自転車のサドルに、
片っ端から種を蒔きたい。

10 花咲か名無しさん :2009/05/29(金) 17:40:44 ID:CvnHfl+e
»9
とりあえずこれを貼っておこうw

35 :774RR:2006/05/12(金) 03:59:26 ID:MjPFQEpv
どこのどいつだヽ(`Д´)ノプンプン
もれの原付のシートの切れ目にカイワレ植えた奴は!!!!!
一週間出張に行ってる間にやられた
しっかり育って根っこはってるし・・・・さすがに最初は何が起こってるのか理解できなかった

42 :774RR:2006/05/12(金) 18:19:55 ID:MjPFQEpv

オマイらちょっとは可哀そうとか言ってくれorz
根っこ張られて毟り取るの大変だったんだ
全部取ったように見えて実は種の部分が残っていたらしく数日で新しい大地の息吹が・・・

小さいころに理科の授業でカイワレ栽培やったことがあるので間違いなくあれはカイワレだった
つかシートから生えたカイワレなんてくわねえよウワァァァァァァヽ(`Д´)ノァァァァァァン!
ゴミを突っ込まれたことなら何度もあるが植林されたのは初めてだお
オマイらもシートの破れは修復することをお勧めする

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「人が動かない理由」

には以下の4種類があることに気づきます。

1 知らない(現状を実感として把握していない)

 内部にいると、厳しい現状でさえ日常になってしまい、危機感を失っていた。

2 責任を取りたくない

 賛意を表明してしまうと、失敗したときに自分の立場が悪くなるから。
 現場での協力はするが、賛成はしないという人もいた。

3 めんどくさい

 現状を変えるのが面倒なので、あれやこれやと、
 うまくいかない理由を挙げてやらないで済まそうとした。

4 あなたが嫌い

 改革着手当時は20代とまだ若く経験も浅い漆氏、
 校長の娘という立場を盾に、偉そうなことを言っていると感じる人がいた。


漆氏は、それぞれの理由について、
次のような工夫で乗り越えていったそうです。

1 知らない(現状を実感として把握していない)

 外部から見たらどんなに厳しい状況なのか実感してもらうため、
 外の人に会いに行く時、同僚たちにも同行してもらった。

2 責任を取りたくない

 学内の様々な改革プロジェクトチームにおいて、
 漆氏が「私が責任を取るから!」と、いわば皆の「風除け」になることを明言した。

3 めんどくさい

 できない理由を挙げる人は、漆氏とは「違う絵」を見ていた。
 漆氏は、改革がうまくいった時に、生徒が喜んでいる「ゴール」のイメージを描いていたのに対し、
 動かない人たちは、そのプロセスで遭遇するであろう、さまざまなトラブルや障害をイメージしていた。

 つまり、人によって、ゴールorプロセス、
 あるいは成果orリスクのどちらか一方しか見ていないことがあるということ。

 そこで、漆氏は相手の見ている絵がどんなものかを聴き、
 一方、漆氏は、自分見ている絵がどんなものかを相手に伝えた。
 こうして、お互いの見ている絵を交換することで、改革に対する理解と行動を促した。

4 あなたが嫌い
 
 わずか5分でもいい、改革に関わる簡単な仕事を頼み込んでやってもらう。
 そうすると視点が変わり、主体者意識が出てくる。
 こっち側に一度でも連れてくれば、漆氏は嫌いな対立者ではなく、同じ改革に取り組む仲間になる。

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社会や私生活の事情で、
多くの人は日々の享楽をあきらめてしまう。
日々の営みを軽んじ、一生を精神論や人生論という
五感とは関係ない理論でとらえようとする。
でも、日々にすべての事は起こり、
日々の“いつか”に人生の終わりはくる。
金は使わなければ貯まるが、
時は使わなければ消え去り貯めることはできない。 森永博志(エディター)
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「限界集落」とは65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、独居老人世帯が増加し、社会的共同生活が困難な集落を指す。限界を超えると人口、戸数がゼロになり「消滅集落」となる。過疎化現象の末路として80年代に問題提起され、その後2007年の参議院選挙で地域間格差の問題に絡んで再びクローズアップされた。そして国は過去7年間で191の集落が消えたと発表した。

高齢化→集落の限界→消滅。遂に過疎化も行きつくところまでいったかと、私もそう受け止めていた。ところが地域社会学者の著者は「消滅しそうな集落など、いったいどこにあるのか?」と意外な問題提起をしている。

著者は長い間常識ととらえられてきた「限界集落」というモデル自体に疑問を呈する。そして自らフィールド調査を行って、高齢化で共同生活に支障をきたして消滅に至った集落は実際には1件もないという調査結果を発表する。確かに1960~70年代には急激な人口減少と挙家離村により集落の消滅があったが、その後はダム建設とか廃鉱による廃村はあっても、自然消滅というケースは一軒もみつからない。国の発表の191の村が消滅したという数字は、中身をよく調べるべきだったのだ。

限界集落の真実: 過疎の村は消えるか? - 情報考学 Passion For The Future

笑っている場合では全然無いのだが「限界集落」という呼称の中二病的美しさには惚れ惚れする。例えば○○が半数以上の集落などとすると、とも想像する。○○は何でも可。何かの最前線とか色々と考えられもするか。魔物的なものが半数以上とすると、意図しなくてもある種の風刺と受け取られてしまう可能性はある。とは思うが、豊かな集団ではなく限界集落を例にするのは厳しいか。

(via aznyan-ultimate)

(via motomocomo)

Jan
25th
Wed
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そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。

一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。

H-Yamaguchi.net: コピペの「作法」

現実に求められる能力は既にこっちになりつつある

(via y-u)

(Source: otsune, via motomocomo)

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昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば、一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識していたが、手が届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。それが「大人になる」という事だった。

いま、世界は事実上、無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る、そういった事も、そう難しい話ではなくなった。広がりすぎた世界にいると、好奇心は満足することがない。飽きることがない。「好奇心を失うこと=大人になること」だった時代は、そこで終わりを告げる。世界は無限だ。昔の大人から見れば、彼らはいつまでたっても子供のままに見えるだろう。
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英語には日本語ほど丁寧さの程度による変化がないから,日本語ほど敬語などに気を遣わなくても良いことが多い。ただし,依頼表現だけは日本語と同じ,または日本語以上に複雑で,注意しなければならないところである。私は1983年に来日して以来,日本語がわからない外国人が日本人の意図を誤解して怒ったところを何回も見たことがある。その誤解の理由はいろいろあるが,最も多いのは,外国人が日本人に英語で何かを頼まれて,その依頼表現を失礼だと感じていたことである。その日本人達は丁寧に話すつもりであったのであろうが,“Will you ~”など,ぶっきらぼうに聞こえる表現を使ってしまっていたのである。

たとえば,外国の研究者に論文のプレプリントを頼むときに,どういう表現が使えるだろう。その研究者と面識があるかないか,あるとしたらどのくらい親しいかによるので,一概にはいえないが,次のように「ひじょうに親しい友達」から「まったく知らない人」まで,いくつかのパターンがある。

  • ・Send me a preprint of your paper.
  • ・Will you send me a preprint of your paper?
  • (この両方は命令調であるから,要注意)
  • ・Please send me a preprint of your paper.
  • ・Send me a preprint of your paper, please.
  • (Pleaseを使ってもまだ命令に近い)
  • ・Could you send me a preprint of your paper?
  • (Couldで始まるとWillより丁寧になる)
  • ・I was wondering if you could send me a preprint of your paper.
  • (かなり丁寧な表現)

最後の表現は,いろいろなフォーマルな場面で使えるから覚えておこう。でも,それよりもさらに丁寧に依頼する方法がある。それは相手にとってできるだけ断りやすいようにするのである。“I was wondering if you could ~”などで頼んでも,相手にとってはそれが無理または面倒である場合,“I’m sorry, but I can’t.”のように返事しなければならない。だれにとっても人の依頼を断るのは愉快なことではないので,「したくない」「できない」のような返事を出さなくても良いように依頼するのがベストなのである。

シチュエーションによって文型が変わるので,この間接的な依頼方法を例から見てみよう。まず,プレプリントを送ってほしいときには次の表現が使える。

  • I was wondering if preprints of your paper are available.
  • (あなたの論文のプレプリントを手に入れることができるか知りたいのですが)

これを断る必要があれば,“I’m sorry, but no preprints are available.”で済む。“be available”は少し曖昧な表現なので,だれの責任で手に入らないかは不明である。その曖昧さのおかげで,相手にとっては断りやすい依頼になる。

Jan
24th
Tue
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844 :Trader@Live! :sage :2010/08/01(日) 12:21:42 (p)ID:QZasFJXH(3)
»842
この名作コピペ思い出したな

おまえらは、雲仙普賢岳の火砕流の時に避難した家に土足で上がりこんで電気を盗み、 警戒区域から出るよう要請した警察の言葉を無視して消防団員や警察官を巻き添えに 殺したクズの仲間だろ?

阪神大震災の時に、建物の下敷きになって、助けを求める声をヘリコプター見物の騒音でかき消したクズや、
まだ煙の立っている現場に降り立ち、被災者の「そこには 亡くなった方がいるので踏まないでください」との声を無視して
「まるで温泉地にきたみたいですね」といいはなったクズの仲間だろ?

女性を色仕掛けでたぶらかして国家機密を漏洩させたくせに、悪びれもしないで「不当な起訴で名誉を傷付けられた」などと主張して裁判を起こすウジ虫の仲間だろ?

日航123便の事故の時に、より悲惨な死体を求めて駆け回り、お棺をまたぎ、
あまつさえ、棺のふたを開けて中を撮影しようとしたクズの仲間だろ?

新潟地震では、山古志村に入り込み、被災者に混じって救助され、おまけに
救援物資のパンを我先に食い散らかしたクズの仲間だろ?

松本サリン事件の時なんて、あれほど無実の人を犯人扱いしたのに、真相が明らかになったら、すべて警察の所為。アレで、責任をとってやめたマスゴミの人間なんて一人もいない。

戦前は戦争翼賛で、人々を死地に送り込み、戦後は一転して、共産主義におもねり、 文化大革命翼賛。

戦後の混乱の中で闇市でものを買わずに餓死した裁判官はいたが、マスゴミの人間で そのように清廉潔白な人間は一人もいない。

人殺しはする、酒飲み運転はする、少女買春はする、脱税はする、放火はする、 詐欺はする、痴漢はする、泥棒はする。
捏造記事なんて星の数ほど。再販制度を批判するくせに、自分たちの再販制度はしっかり維持を主張する。

そ う い う ク ズ ど も の 何 が 「社 会 の 木 鐸」 だ、 何 が 「正 義 だ」、 何 が 「弱 い 立 場 の 人 の 代 弁 者」だ(笑

失 せ ろ ウ ジ 虫 !
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日本人の美意識

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』

『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』

『田 舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前の奇麗に掃かれた歩道、室内にある物がすべて小ざっぱりとしていい趣味をあらわして いること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである(モース)』

『この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術(チェンバレン)』
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